トイアンナのぐだぐだ

まじめにふまじめ

私の愛した人は共産主義者だった

初めて訪問したときから、不思議な家だった。書庫では好きな本を読んでいいことになっていたが、本を取り出すとその後ろにも本があった。後ろの本は「読まなくてもいいんだ」と言われた。私は素直に「表」の純文学を彼の隣で読んでいた。

 

起きてからまず新聞を読むのが彼の日課。朝日新聞を購読していたが、時折「第二次大戦を煽った戦犯はこいつだ」と憤懣やるかたない表情を見せることもあった。「他にましな新聞社がないから」と彼は言う。Wall Street JournalThe Timesを勧めたところ「外国語はロシア語しか読めないから」と笑われた。

「ロシア語なんて、この時代にできてもしょうがないんだけどね。」

 

共産主義者であることがバレないよう、近所づきあいは最小限にとどめていた。仲のいいお隣さんですら、彼を堅物で引きこもりがちな人だと勘違いしていただろう。実際は晩酌を傾けながら大笑いするような陽気な人だったが、お酒のせいで思想が漏れることを警戒していた。

そんな彼が一番苦労したのは法事だった。神も仏も信じていないから、冠婚葬祭は耐えがたいようだった。共産主義のお膝元であるロシアですらキリスト教を撲滅できなかったのに、彼はかたくなに宗教を拒んだ。お盆休みやクリスマスすら嫌がったので、普段記念日を気にしない私ですら、それに付き合いきるのは少し面倒だなと思っていた。

 

そこまで徹底していたくせに、職業は銀行員だった。厳密な共産主義では貨幣制度を認めていない。お金ではなく、製品をみんなで分けることで貧富の差をなくすからだ。彼は貸し剥がしなど、仕事で信条と間逆のことをさせられて「この仕事にして失敗した」と何度も言っていたけれど、転職ができるほど頭の柔らかい人間でもなかったので渋々働いていた。ただし、渋々働いていることは会社にバレバレだったので、出世競争で相当苦労していたらしい。


共産主義は誤っていた」

数年前、急にそんなことを言い出した。ベルリンの壁は消え、ゴルバチョフ宗教法人の代表と握手していた。そんな時代まで頑なに共産主義を貫いた彼が、なぜ方向転換したのか今となっても理解できない。

だがそれ以来、彼は時間を取り戻すかのように生物学へ没頭した。ダーウィンの進化論やピーター・メダワーを読みふけった。論文を投稿していたようで、どこかにこっそり掲載されては喜んでいた。だから私はかつて覗いた「本棚の秘密」をすっかり忘れていた。


先日、彼の遺品を整理してついに本棚の裏側を見た。生物学の本の裏には、レーニン全集と共産党の集会記録がびっしり詰まっていた。鈍かった私は、遺品整理の段になって、初めて彼が共産主義者であったことに気づいた。

「ベッドのかさ上げにちょうどいいから、このレーニン全集を敷いて土台にしようよ。」 一緒に祖父の遺品整理をしていた父は言った。

父は共産主義者の祖父に若いうちから嫌気がさして早々に家を出た。気持ちはわかる。遊びたい盛りの10代で貨幣の使用を禁止されるなんて、息子の視点からすれば悲劇としか言いようがない。祖父は銀行員でも“アカ”が行くという地域に左遷され、そのせいで父は転校を繰り返した。父もまた、広義の被害者だったのかもしれなかった。


そろそろお盆も佳境。祖父が帰って来ているなら、レーニン全集のあえない最期にぶち切れるはずだ。だが彼は共産主義者なので神も仏も信じられず、心霊現象を起こして抗議することもできまい。可愛そうな彼のために、今度こっそり本を差し替えておこうと思った。