トイアンナのぐだぐだ

まじめにふまじめ

「結婚ってコスパ悪いよね」論には、われわれ大人世代が反省すべきでしょう

「○○をするのはコスパが悪い」はいつから定型句になっただろう?AERA 6月号で「結婚はコスパが悪い」と特集が組まれる前からネットでは似たような言説が出ていた。ざっくり纏めると、こんな論旨だ。

結婚はコスパが悪い。結婚しても離婚するかもしれないし、相手の隠れた悪癖が見つかるかもしれない。

子育てはコスパが悪い。学費は無尽蔵に増える課金ゲームだし、学歴を担保しても仕送りや介護をしてくれるとも限らない。

 

こういった考え方に対して、アレルギー反応を示す方もいらっしゃる。私もどちらかといえば「愛情や人生にコスパを持ち込むなよ」と思う立場だ。だが「人生のコスパを語りたいなら、まず人生のベネフィットを語ってみせろ」という反論を見て気づかされたのはコスパ世代に対する説明義務の怠慢だった。


「言葉の用法、間違ってますよ」

そもそも、コスパ厨への反論はシンプルに「言葉の用法、間違ってますよ」で済む話だ。コストパフォーマンス(費用対効果)は「購入した物に対する便益の大きさ」を語るための言葉で、結婚や子育てなど投資に近い性質を持つ対称へ使う用語ではない。「FXはリスクが高い」と言っても「FXはコスパが悪い」とは言わないだろう。国語として不適切なのだ。

だから、コスパ厨の人が本来使うべき単語は「結婚ってリスクが高い」「子育てはリスクが高い」なのである。事実、彼らが結婚・育児のコスパの悪さを説明するときには「投資効率の悪さ」を主な理由として説明しているのだから、正しくは「リスク」という単語を使うべきだろう。


結婚と子育ての投資効率を語れない大人世代

しかし結婚・子育てのコスパ問題は「日本語間違ってますフヒヒwwwはい論破www」という単純な問題ではない。結婚・育児に対するリスクを説明してこなかったわれわれの責任が見過ごされているからだ。

 

われわれ大人世代にとって、結婚や育児はいまだに「大人として一人前として扱われるための儀式」的側面が強かった。結婚しないと出世できない企業、子供ができて初めて一人前と言い出す親族の事例は未だ枚挙に暇がない。

そしてそんな大人世代が口をそろえて言ってきた結婚や子育てに対するリターンは「結婚っていいもんだよ」という論拠不明なしたり顔だったり「子供ってかわいいものだよ」という感情論ではないだろうか。

 

大人世代へ疑問を持たなかったり、大人世代のやり方で幸せに生きてきた子供は「そんなもんかな」と従来のやり方へ追従できるかもしれないが、親の関係が良好でない家庭で育った子供や、ネットなどで「失敗例」をたくさん見てきた今の世代は結婚や育児がリスク債、しかもかなりハイリスクな債券であると感じ始める。そして「結婚・育児は幸せになれるかの投資としてハイリスクだ」という心情をありふれた単語である「コスパ」で語り始める。

 

一方、大人世代は1人でも幸せに生きられる選択肢が増えたいま「結婚や子育てはリスクを負っても幸せになれる投資ですよ」と売り込む言葉を持たない。結婚や子育てが1人で生きることに比べて社会的にローリスクだった時代しか生きておらず、いまやそれが人生のオプションに過ぎなくなっていることを認識できていないからである。


大人世代へ求められている反省

正直、私は「大人世代のひとり」として結婚と育児のリターンについて"コスパが悪い"と感じている人へそれらの投資を勧める自信がない。これだけ1人でいる楽しさが人生の選択肢にあると、結婚や育児は人生の幸せを得るオプションに過ぎず、割とハイリスクな投資であることは3割の離婚率を見ても明らかだ。

控えめに老後1人で要介護になったときのリスク回避や、既婚者限定の福利厚生によるメリットを伝えるのが私にできる「ほぼ確定したリターン」としての結婚・育児の投資効率である。

 

その他の「毎日一緒に添い寝してくれる人がいる」とか「子供の成長が楽しくて仕方がない」といった感覚的メリットは夫婦仲の悪化やいざ産んでみたら全く愛情が湧かなかったときのリスクが大きすぎて語りえない。夢中になれるゲームに養育費と同額を投資したときと、得られる幸せはどちらが上だろうか?

もしこの問いに答えられないのなら、コスパ厨に石を投げる資格は私たちには、ない。

 

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