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「実は結婚したくない」でも「愛されたい」:データでわかる結婚願望の実態

Twitterにアンケート機能を利用し、以前から思っていた「最近の人は本当に結婚したいのだろうか?」という疑問に答えてみた。

 

仮説と背景

「結婚したい」とアラサー男女は言うけれど、本気で結婚したい人は少ないのでは?

そう感じたのはアラサー男女をインタビューしていたときのことだった。男女問わず30歳にもなると機械人形のように「結婚したいです」と口にする。

しかし、その割には具体的に行動をとっている人が少ない。これは行動力のある人も同様で、ダイエットやジム通い、スキルアップに余念が無い人もなぜか結婚に対しては「したい」と口走るだけだった。つまり、ダイエットや仕事のスキルアップに比べ、結婚は優先順位が低そうだ。

とはいえインタビューだけでは人数も少なく、結論付けることはできない。そう考えていたときに登場したのがTwitterの投票機能。これだ!と質問を投げたところ600人以上の回答を得た。

 

アンケート結果と回答 

まずは、恋愛感情を抱けなくても結婚できるか、という疑問を投げてみる。

6割以上が妥協して好きではない相手と結婚するくらいなら、独身でいいと答えている。「嫌いな相手」ではなく「好きではない」相手でもこの結果。お見合いや友達婚といった、恋愛感情を伴わない結婚は大多数にとって「ナシ」なようだ。

 

 ではどういう相手なら「結婚したい」と思えるのか。似た質問だがさらに突っ込んでみた。圧倒的多数を得た「いい人がいれば結婚したい」の「いれば」という受身な表現に注目したい。自分からアクティブに探し、場合によっては妥協してでも結婚したい、という結婚願望は感じられない。

 

さらに突っ込んで「いい人」の定義を見ると、好みや条件を明確に持っておらず、ベストな相手を選びたいというより「相手から愛されたい」ことがわかる。つまり、結婚はしてもよいが、現在未婚なのは「私・僕を愛してくれる人」がいないからである。

 

さらに理由を深堀りした。未婚者は高飛車な目線で相手をえり好みしていると思われがちだが、実際には「私なんか選んでもらえない」と感じているようだ。

ここまでの回答をまとめると、「結婚したい。でも恋愛結婚を妥協して、愛されないくらいなら独身でいい」となる。これはもはや結婚願望というよりも「愛への渇望」といったほうが適切だろう。回答者はそこまで結婚したいとは思っていないが、愛されたいと強く感じているのだ。

 

これは仮説の補強データ。元彼がクズばかりなら、人並みに愛されたいと他者と比較した願望を持つのも不思議ではないが、多数が「いい人が多かった」と感じている。過去に「いい人」が多かった、そして私は今もいい人、つまり「私を愛してくれる人」がいればなぁ、と思っている。

 

まとめ:結婚願望は「愛されたい」の一部にすぎない

ここまで、結婚願望についてTwitterで調査した。結論として、現代の人たちは結婚したいとそこまで思っていない。むしろ「愛されたい」と強く感じており、結婚は愛されるならしてもいいだけである。

問題は、愛は与えなければ与えられないということだ。人から強く愛されたいなら、まず自分が強く愛するしかない。だが、誰かを強く愛しても愛情が返ってくるとは限らない。愛がもらえるとは限らないなら、下手にリスクを取りたくはない。「いい人がいれば結婚したい」の受身さにはそんな気持ちが表れている。

 

「結婚したい」という言葉には、こういった「あーあ、どこかに無償の愛、転がってないかなあ。そしたら結婚してもいいんだけど」という愛への惰性が示唆されないか。もしそうだとすれば、愛情を求めるくせに与えようとはしないのだから、誰かと付き合えるはずがない。これは非婚化・晩婚化よりもよほど重要な問題であろう。