トイアンナのぐだぐだ

まじめにふまじめ

自殺未遂そのものより恥ずかしいのは、自己陶酔である

先日飲んでいて「自殺未遂は恥ずべきことなのか」という話になった。

 

自殺未遂する心情へ簡単にアクセスできるようになったのは『南条あや保護室』からだろう。ネットアイドルとして『卒業式まで死にません』というセンセーショナルなタイトルで本を出した彼女は本当に死んでしまった。

しかし死後も彼女を崇拝する人は後を絶たない。南条あやは死んだことで単なるメンヘラから、唯一無二の存在になったのだ。

 

「いいメンヘラは死んだメンヘラだ」とまでは言えないが、自殺未遂のプロこと太宰治が「恥の多い生涯を送って来ました」と述懐しているように「自殺未遂は恥ずかしいこと」とみなされているフシがある。そして恥ずかしいことだからこそ「こんなに自殺未遂してしまう自分」として陶酔する道具にもなっている。

 

だがそこまで自殺未遂は恥ずべきことだろうか。


そう考えると私の生き恥は、今までに作ったウェブサイトである。

Windows 98が初めて我が家に到着したとき、侍魂ろじっくぱらだいす以上のものに私は出会ってしまった。ただし南条あやではない。

 

ボーイズラブにである。

 

当時はなりきりチャットといって「好きなキャラになりきってチャットへ参加する」という遊びが流行していた。子供がプリキュアで変身ごっこをして遊ぶように、キャラになりきるのは純粋な楽しさがある。現実から逃避したい私のような人間には、最高のおもちゃだった。

しかも1990年代前後はスラムダンク幽遊白書るろうに剣心封神演義テニスの王子様腐女子の黄金期。ネット回線が使い放題になる深夜時間帯(テレホタイム)を待つ日中など、かりそめの自分にすぎない。深夜12時から翌朝3時までの蔵馬と楊戩が、私の真の姿だった。


そのうち自分でウェブサイトを作ろうと思った。そこでHTMLを使えなくてもウェブサイトが作れる「ホームページビルダー」を手に入れてしまう。

さらに飾りとして背景に黒い蝶が舞ったり、水色のレースが連なるフリー素材を200種類以上ストック。真の姿にふさわしい、MIDI音源のBGMも調達した。Sorry this homepage is Japanese only。

 

これで準備万端、ウェブサイトを作るぞ! と思ったところで逡巡した。私には提供できるコンテンツが無かったのだ。試しに妖狐蔵馬の絵を描いてみたら、どう見ても背骨が折れていた。

 

まあネチケットとBBS、アクセスカウンターとなりきりチャットがあればいっか。キリ番は報告してね、あげられるものはないけど。堂々と掲げたウェブサイトの名前は「サンクチュアリ」。

 

そんなゴミサイトでも開設後はなりきりチャットで盛り上がる幸せな日々が続いた。だがそんな暮らしも突然終わる。チャット画面で「もしかして、あなたの本名は○○○○じゃないですか?」と特定されたのだ。

 

なんとチャット画面上で私が腐女子セックスしていた相手は、同級生のねーちゃんだった。何が Welcome to Underground なのか。インターネットがあれば、世界と繋がるなんて嘘である。私は早々にウェブサイトを閉じ、今ではキャッシュも残っていない。

 

なおそれからしばらくしてCoccoへどハマリし、「Escape From Reality」というウェブサイトを作って手首を切ったことも無いのに「腕から流れる紅の涙 明日を知らなければ鳥は飛べたのに」なんてポエムを掲載した過去もあるけど、もうライフが0なのでここで止める。

 

このように生き恥とは、自己陶酔する姿だ。かつて私も自殺未遂を繰り返し、精神療法のお世話になった。それが効いて今は平凡な日々を過ごせている。私にとって自殺はもう自己陶酔の対象ではくなった。自殺未遂した過去はフラットに語れるが、自殺へ陶酔していた当時の自分は生き恥すぎて真顔で語れない。

ということは、自殺未遂の経験自体はきっと「過去」にできるのだ、人生80年も生きるのだから。死にたい人を止める権利はないけれど、嫌われたら死ぬ・批判されたら終わりだと切羽詰ったら自己陶酔のまま恥ずかしく死ぬ前にいい精神科を探してほしい。自殺未遂を笑える人生もきっとまだ、残っている。

 

◆ 参照

当時の南条あやを振り返っている個人サイト

南条あや日記に関する覚え書き・「南条あやの保護室」より 

 

南条あやが執筆した本。これが最初で最後の本となった。

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)