トイアンナのぐだぐだ

まじめにふまじめ

誹謗中傷をした人を、誹謗中傷するループを生まないために。

私はライターですが、それ以前にTwitter廃人です。仮に「この10年で1番やっていることが職業になる」と言われたら、私の職業はツイッタラーになっていたでしょう。あらちょっと嬉しい。

 

で、Twitterをやっていると(というか、どんなSNSでもやっていると)批判をいただくことがあります。そこで非常に難しいと思うのは、日本ではまだ「批判と誹謗中傷のボーダーがはっきりしない」という点です。

 

 

批判と誹謗中傷は並べると違いがクリアにわかる

批判とは「人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること」とされています。

それに対して誹謗中傷とは、「単に他人へ対する悪口だけを指す言葉ではなく、その人の名誉を毀損するようなことを言うこと、根拠の無い悪評を流す行為などを指す」とされています。

 

つまり、批判は「ある意見」に対してのネガティブな反応であるのに対し、誹謗中傷は「相手の人格」に対するネガティブな反応と区分けできます。

 

たとえば、ということで、これまで私がいただいたご意見を批判と誹謗中傷に区分けしてみましょう。

 

実際に私がいただいた「批判」の例

・文章が読みにくい。本当にこれでライターのつもりなんだろうか。

・サンプル数が少ない内容で記事を書くな。もっと統計データを使え。

・結局、この作者はインタビュー相手を批判したくてこの記事を書いているのではないか。インタビュー相手をダシにしているとしか思えない。

・この記事が世にでたことで問題は解決するだろうか。むしろ悪化させてない?

 

実際に私がいただいた「誹謗中傷」の例

 ・こんなクソみたいな記事を書く人間はどんな人間なんだと思ってテレビで顔を見たけど性格が悪そうなブスだった。

・どうせ結婚できないような女だから偉そうに恋愛コラムを書くんだろう。

・就活コラムを書く人間って、キャリアで成功してないから学生へ偉そうにふるまいたいだけなんだよ。

・未婚のくせに。

・あれは俺について/私について書いたんだろう。〇すぞ。

 

ちょっと極端な例もピックアップしたので驚かれるかもしれませんが、まあこんな感じです。批判はネガティブな意見の対象が「私の意見」にありますが、誹謗中傷は「私自身」にありますね。

正直、Twitterでフォロワーが増え始めたときに誹謗中傷をいただいたときは、ちょっと傷つきました。でも途中から「ああ、この人たちって、テレビのニュースに好き勝手毒づいている私そのものだ」と気づいてからは、なるほど私はテレビか、と合点がいきました。

ただ、SNSがテレビと違うのは、相手に届いてしまうことなんですよね。ということは、私が「それは納得いかないっす」と言い返しても、やっぱり相手に届くわけです。

 

で、誹謗中傷の怖いところって「受けているうちに、批判との区別がつきづらくなる」ことだと思っています。だんだん、ブスも正当な批判に思えてくるんですよ。「もしかして、私がブスだから仕事が減ったのかな」って。

そうすると、全員が自分を嫌っているように思えます。批判はグッサリ傷ついても、後からひっそり反省して直していけます。もしくは「うっせ、お前の批判は正当だが私は聞き入れる器が無いぞ! 文句あっか!」と開き直ってもいい。よくないけど、まあメンタルにはいい。

 

でも、誹謗中傷って直してもだめなんですよ。仮にブスを200万かけて整形しても、こんどは整形ブスって言われるわけです。相手の人格に対する攻撃なわけですから、自分がどう変えても相手は攻撃してくるわけです。

そうすると「私は、ダメな人間なんだ。何をしても怒られるなら、死んだほうがいい」と自分を追い詰めたくなります。ここで周りが気づけたら、SNSから引きはがしたほうがいい。でも、できないときもあります。だって自分の悪口がたくさん書かれているところから、目を離すには心の余裕が必要だから。悪口を言われた時点で、余裕なんてなくなっちゃうのにね。

 

これが未成年の子どもだったら高嶋ちさ子さんばりの携帯クラッシュをかまし、子から恨まれても分離させるところですが、成人した大人にできることは少ない。とても、つらいことです。

 

誹謗中傷をした人を誹謗中傷するループを生んではいけない

そして、誹謗中傷の犠牲になる方が出ます。次に起きることは、誹謗中傷の中心にいた人を、みんなで誹謗中傷しだすことです。

「この人は素晴らしい人だった。なのに、こんなひどい目にあわせて。許せない。お前の方こそ死ね」が、始まるわけです。

でも、その石を投げたとき、本当に相手が死んでしまったら、私たちは責任を取れるのでしょうか。きっと、最初の被害者が傷ついたとき「そんなに傷ついてたのか」とあぜんとした中傷者のように、ぼうぜんとしてしまうんじゃないでしょうか。

 

誹謗中傷した人を、誹謗中傷するループは生まないで。

それがこの記事のメッセージです。

 

では誹謗中傷する人を、どうやって止められるのか?

といっても、私は別に、誹謗中傷をした人を「許せ」とは言っていません。誹謗中傷ではなく、批判すべきなのです。

 

たとえば、極端な誹謗中傷に対しては法的手段を取ることができます。名誉棄損罪は、公然と相手の社会的評価を下げた場合に成立します。

SNSでの執拗な誹謗中傷で「あいつは枕営業だ」なんてデマを流された場合は、自分の社会的評価が下がってしまいます。ですから、明らかなデマを流されたり、あるいは真実でも社会的評価がガクンと下がることを公にされた場合は、名誉棄損に問うことができます。

 

ただ、名誉棄損を成立させるためにはいろいろ条件が必要です。たとえば民事の成立要件では事実の提示だけではなく、人身攻撃に及ぶなどの意見・論評の域を逸脱したものは名誉毀損による不法行為が成立する」(刑事事件弁護士ナビ)との記載があります。

法律(民法)においても「人身攻撃に及ぶなどの意見・論評の域を逸脱したもの≒誹謗中傷」が、対象になると、と線引きされているわけです。

 

周りで誹謗中傷の犠牲者が出たら、法的手段を取るための費用をカンパしたり、法的に問えるよう署名運動を起こしたり。批判の範疇でできる支援はたくさんあります。

さらに、法的手段以外でも「こういった発言は許されない」といった、主語を「相手の意見」にした批判はまっとうなものです。批判が増えることで、今後同じような誹謗中傷が減ることも願います。

 

自分が誹謗中傷の加害者にも、被害者にもならないために

自分が誹謗中傷の加害者や被害者にならないための、大事なポイントは4つ。多いな、ごめんね。

 

度を越した中傷をすれば、名誉棄損になる

先ほどと被りますが、度を越した中傷は名誉棄損になるということです。それを知っているだけで加害者にならないでいられます。

たとえば、あるSNSアカウントに対して「早く死ね、ブス」と書きこむことや「あいつは枕を使って仕事を取っている」「大御所の〇〇さんと不倫している」なんて、100%の嘘を書き込むこと。これらは一発で訴えられます。

 

健全な議論のためにも、批判はしていい

ふたつめは、批判は中傷と分けられていて、批判はしてもいい・されることがある、ということです。相手の意見を批判できなくなれば、この世に「改善の余地」なんてものはなくなってしまいます。怖いですね。

だから相手に対して「むっ」と思ったら、批判すればいいんです。「この意見については、賛成できないです。なぜなら~なので」と言うだけです。相手が聞きいれるかどうかは、別ですが。

批判と中傷の境目は何度も言いますが「コメントする対象が【相手の意見】になっているか」です。

 

私はライターというお仕事上、何度か「これは誹謗中傷だ」とご連絡いただいたことがありますが、いずれも「これは批判の範疇です」とお戻しし、全ての案件で法廷での争いへ発展せずにおさめています。それはひとえに、コメントした対象が「相手の人格」ではなく「相手の主義主張」だったからでしょう。

健全な批判は議論を活性化し、より合理的な意見へつながっていきます。私も批判へ言いかえしちゃうことがあるので、毎回「あいわかった、この件はすまんかった」と言える器じゃありませんが、批判まで封殺されるものではないよ、ということです。

 

批判に対して「俺は/私はそう思わないもん!」って言い返していい

みっつめは、批判や中傷は甘んじてスルーするのが有名税? ふざけんな、こっちも人間ですよ。というわけで、相手が好き勝手こっちへ言える権利があるのと同じく、自分も好きに怒っていいという点。

というより、公の場で言い返してあげるほうが「いきなり法的手段」で来るより親切です。もちろん我々も批判の範囲で言い返さないとあっちから法廷にご招待されてしまうかもしれないので、そこは「そこのアンタ……じゃなかった、その意見は全然納得いかない!!」と怒りましょう。人格否定は、誹謗中傷になるから。

 

「みんな私のことが嫌いなんだ」と思ったら、SNSから離れたほうがいい

よっつめは、自分に向けられた批判と中傷の違いがわからなくなったとき(=みんな私のことが嫌いなんだ、私が全部悪いんだ、と思ったとき)は、SNSから離れた方がいいということです。

批判が相次ぐと、中には誹謗中傷が混ざります。途中で目がグルグルして、どれがどれかわからなくなります。私も心臓がバクバクしたこと、あります。そういうときは、できれば家族がSNSから引っぺがしてあげたほうがいいです。

 

し、もし私のようにSNSを業務上使っているならば、自分で「あ、これはやばいかも」と気づいたほうがいいでしょう。現在はSNSのトレーニングで「炎上対策」くらいしか世間にはないので、あっという間にフォロワーが増えてしまった人は、心がもたないんじゃないでしょうか。今後は、SNSのセルフマネジメント的なトレーニングが、もっと増えてほしいと思います。

 

いろいろモヤモヤしながら書いたので、あまり論旨がまとまっていなくて申し訳ありませんが、今日はこのへんでお暇いたします。