30代女がギャルになる。鬱から「最悪の期間」を脱出するまでの4か月
なんだか全身がダルいな。そんな日が数日続いて、あれよあれよという間に、床から離れられなくなった。
結婚、過労、死、退職、訴訟
なんだこれ?胸に手を当ててみる。思い当たるフシはたくさんあった。今年を振り返ると、
1月 結婚
4月 夫が倒れる
5月 過労で自分が倒れる
6月 夫を失う
7月 転居
8月 友人を失う
9月 退職・訴状①が届く
10月 訴状②が届く
12月 裁判
である。厄年か。←後厄でした
始まりは退職
ネットには書いてなかったけれど、この数年間、外資系企業で働いていた。その会社を退職した9月あたりがトリガーになって、ガクンと落ち込んだ。夜中に落ち着かずウロウロしたり、罪悪感に押しつぶされそうになっていよいよ鬱らしい、と気づいた。すぐに精神科へ電話したら幸い、近隣で評判のよい精神科が予約できた。
先生「今年結婚して、旦那さんを失って、それから訴訟を起こされた。えっと……そんなにいろいろあって、鬱にならないのも変じゃない?」
私 「私もそう思います」
客観視はできている(つもりだった)けれど、やっぱり動けないものは動けない。先生は面倒見のいい人で、ゆっくり話を聞いてくれて、薬を処方してくれた。
しかし、処方されても数週間は効かないのが鬱である。ちょうどいい位置にドアノブがあるなあ……おっといけない、寝よう寝よう。ってな危うさを抱えつつ、とにかくこんこんと眠った。こういうときは寝ていた方がいい。起きているとろくなことを考えない。
寝込んでいる間、大量の夢を見た。主に高校時代の夢だった。イギリスの寮で、アルコールとドラッグを大量摂取してぶっ倒れた女の子。手首がシマウマみたいになった別の子。
いろいろ思い出した。問題のある子ばかりではなかったのだけれど、夢見の主が病んでいるのだから、病んだ思い出が多くなるのだろう。夢の中で英語を使うから、寝起きはぐったり疲れていた。
そして申し訳ないことに、私はフリーランスで、しかもチームワークをしていた。職場の関係者に謝罪のメールを打つ余力すらなく、マネージャー2名が代理で方々へ謝罪してくれた。私はごくわずかの、動ける日に謝礼を振り込むくらいしかできなかった。彼らがいなかったら、謝礼を払える内部留保すらなかったかもしれない。
ほぼ寝たきり雀
そして10月。ほぼ1ヵ月、毎日20時間寝ていた。起きている間もピクリとも動かず、天井を見つめていた。あまりに動かなさ過ぎて、尻に床ずれができた。風呂も週に1回が限界だった。
全身がかゆいし痛いが、やはり動けないものは動けない。家事代行を週1で頼んでいたから家は家の形をしていたが、そうでなかったら生ごみにまみれていた可能性が高い。
息も絶え絶えに来院した私へ、先生は入院を勧めた。
私 「最低限は……仕事を……しないと……自営業なので……ですがパソコンの持ち込みは……」←鬱で途切れ途切れにしかしゃべれない
先生「パソコンはいいんですが、電源コードがだめですね。他の患者さんが悪用する可能性もあるので」
実質だめじゃん。入院の可能性は消えた。さすがにメールも打てなくなったら、マネージャーが倒れちゃう。
この時期、優しくしてくれた男性がいた。ずっと病状は隠していたけれど、さすがに入院寸前までいって、どうも私は鬱らしい、ということをLINEした。彼は「そういう病気を持つ人は無理」と言って去っていった。
いやいや、手首切ってないし、〇にたいとか言ってないし。「今年いろいろあったし、鬱で入院するかも」でそれかい。このタイミング、私じゃなかったら耐えられなくね?
この瞬間、心の中でギャルが目覚めた。
「いやさ、ありえなくない?私さあ、今年けっこう頑張ったと思うよ。っていうか普通の人だったら倒れてると思うよ、とっくに。何なの今年は。不幸のパフェ特盛りチョコレート追加なん?その状況でこんな仕打ち?まじありえないんですけど?」
かなり怒ったけど、怒る力が湧いてよかった。
ギャルになってキレていたら、お世話になっている先輩が厄払いに誘ってくれた。神社で課金、初めてしてみた。霊験あらたかな神社で祈った。厄払いした直後に2つめの訴状が届いた。厄、強すぎ。笑った。先輩すみません。
宮崎と岡崎体育で癒される
11月。3日に1度、稼働できるようになった。薬が少しずつ効いてきた。
とはいえネガティブな気持ちは常に付きまとっていたので、まあ美味しいものでも食べるか、と考えた。美味しいものがあれば何でもできる。
まず、宮崎へ飛んだ。学生時代にインターンしていた先の社員さんが、アーリーリタイアして住んでいた。めちゃくちゃ出迎えていただいて、動けない私の代わりに車であれこれ連れて行ってくださった。
宮崎では、海でぼんやりしていた。
宮崎から関東に帰ってからは、前々から行きたくてたまらなかったフレンチ2軒を、友人が予約してくれた。何もかも美味しかった。何より友情が染みた。ありがとう、コートドールとLibre。元気になったら恩返しするという願望ができた。
と、いろいろ動いた反動であとは寝ていた。なにせ寝ているので、食べようが食べまいが代謝が落ちまくって太った。理不尽だ。
原稿は納期を遅らせたり、1回お休みをいただいたりして、なんとか書き始めていた。悔しいことに、こういうときの原稿のほうがいい原稿になる。普段の私は何なんだ。普段から出でよネガティブパワー、メイクアップ。
とはいえ収入は激減。
生きてるのが辛かったのでずっと岡崎体育のこれを聞いてた。
岡崎体育 『なにをやってもあかんわ』 Music Video
もう何をやってもあかんときは、何もしないに限るんや。
家がきれいになると心がきれいになる
12月。稼働できる日が2日に1度、そして毎日に戻った。今も1日10時間は寝ている。でも前の冬眠状態からはかなりマシだ。
家を癒し系空間に変えるために、貯金を引っぺがしていろいろ買った。買ってから気づいたけど、生活必需品に関係ないものこそ、心を回復させてくれるものなんですね。
買ってからはAlexaで波の音を流して、暗闇でハンモックに揺られてた。なんでもっと早く買わなかったんだろうって感想になった。
絵も飾ってみた。(実際には動けなかったので、家事代行のお姉さんが飾ってくださった)
ここに来てゴッホを選んじゃって、メンタル大丈夫かな……。と思ったけれど、アーモンドの木はそんなに影響なかった。普通に可愛い。トイレに飾った。←ゴッホさんすみません。
あとはカーテンやらベッドなど、むしろ今まで何で家になかったの?っていうものを買っていった。つーか、それ以前の私の家は何だったんだろうか。箱?
猫が寂しそうにしていたので、レーザーポインタで遊んであげるために買った。これなら寝たきりでも猫を構ってやれる。ごめんよ猫、お母さん病気なの。猫もそれを察してくれて、顔をよく舐めにきてくれた。夜はともに布団の中で顔をくっつけて眠った。
家が整ったあたりで、やりたいことがいろいろ出てきた。元気になったら、ハイキングしたい。寝たきりからスタートなのでまだ近隣の散歩しかできないけれど、ちょっといいトレッキングシューズを買った。来年中の目標は高尾山。
ベッドでこのサイトをずっと見ていた。
このころ、床ずれがやっと治った。イベントへ登壇するため、横浜から末広町まで電車でたどり着けたときは嬉しくて足が震えた。
デブになった体は、そろそろ痩せたいなあと健康を考えられるほどにはなった。パーティとかはまだ無理だけど、友達とまったり過ごす時間がうれしい。仕事は前のペースへ徐々に戻りつつある。
もちろん、これから状態が安定するか観察して、さらに減薬していくプロセスが残っている。揺り戻しもあるし、まだまだ寝込む日もあるだろう。
でもどうやら、最悪の期間は、抜けたっぽい。
先日、精神科での会話。
先生「双極性障害の可能性も残されているので、躁になっていないか、注意してくださいね」
私 「躁になったサインって、どんな感じですか」
先生「そうね、代謝が良くなって痩せることが多いかな……あと眠らずに働けたりとか……」
人生でまだ躁状態が来ている気配がないです……。
痩せたいし眠気なく働いてみたいです……。
来年は幸せが大量に来てくれよ
最悪の期間を抜けてから、谷口マサトさんが亡くなられたのを知った。同じくらい寝込んでいるnoteを残されていたことも、気づく余裕がなかった。
そして、よく夫のことを考える。過労で自分が倒れていたとき、もっと大事にできたことがあった。できなかった。私の力不足だった。まだ彼について、書く元気はない。
病気で失った友人のことも思う。失いたくなかった。何もできなかった。今年は人が死にすぎだ。
私は……もう100年くらいこの世にいたい。
飼い猫を愛しているし、これまでどんな辛いこともいい面を見つけてきたので。今は「大変だったけど、やりがいのある1年だった!これが人生の底ならば、来年は幸福ばかり訪れるに決まってる」と思っている。
そうじゃなかったら、またギャルになっちゃうぞ。
お題「#買って良かった2020」