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トイアンナのぐだぐだ

まじめにふまじめ

「結婚なんてしなくていい」と言えるのは既婚者だけ:マイノリティを支援する「資格」

女性の生き方

 

日頃から「学歴なんてなくてもいいよ」とか「結婚なんてしなくてもいいよ」と思っているリベラル寄りの人間だ。だが、これを「思う」のと「実際に言う」のでは 実に大きな障壁があるのではないか。『結婚のコスパが悪い』が「独り身の負け惜しみ」としてやや上から目線で特集されるのも、酸っぱい葡萄に見える からだろう。

 

私が「結婚なんてしなくていい」とおおっぴらに言えるようになったのも、実は結婚してからである。10代の頃から女性の結婚願望というものはよくわからなかった 。少女マンガの夢はわかる。でも結婚とは別の話だ。お姫様願望が強かった幼少期も「僕には君しかいない」とイケメン王子に 選ばれ、宮殿で暮らすだけでHAPPY ENDだったのだ。「愛する人に愛されて」「一緒に暮らせる」ならそれでいいじゃないか。結婚とそれって、別物だよね?と。

 

そんな私が結婚したのは既婚者への福利厚生、遺産相続、出世に有利といった「制度上のメリット」を考慮した部分も大きい。愛情と結婚は別の話だから、そのメリットが感じられない人まで結婚する必要があるなんて思わない。複数の人を1度に愛する志向(ポリアモリー)の人にとって日本の結婚制度はデメリットが大きすぎるし、世の中には恋愛感情を一切持たない人だっているのだ。愛すら義務にしないでほしい

 

と、いうことを大っぴらに言えるようになった時点で、皮肉にも結婚して良かったと言えるはめになった。

 

類似のケースはほかの分野でも見られるのではないだろうか?「学歴なんて下らない!」と私が気持ちよく言えるようになったのはややマシな学歴を手にしてからである。「同性愛を差別しないでほしい」と言えるようになったのは、バイセクシュアルの私が"異性の"パートナーと付き合い始めてからである。

マイノリティを支援するためには、マジョリティにならなくてはいけない。なぜならマジョリティの無理解な人は「少数派が自分の権利を訴えろ」と言うくせに、いざ少数派が活動をすれば「手に入らない人の負け惜しみga~」と言い出すからだ。

 

この下らなさを断ち切ることが長期的には必要だ。が、その第一歩として、マジョリティからマジョリティへ叫ぶことをせねばならない。そのために結婚したわけではない、そのために学歴を求めたわけではない、それでもマイノリティの「資格」として、資格の無意味さを伝えていければと思う。

 

そんなわけで、趣味志向として結婚した過程を連載、始めました。「やっぱりバラの花束でプロポーズされて、ウエディングドレスでいっちょアガリでしょ!」という世界を連載形式にてライトタッチで破壊します。ウス。

 

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