トイアンナのぐだぐだ

まじめにふまじめ

姉が新興宗教に出家したとき、彼女を助けてくれる人は誰もいなかった

新興宗教へ出家した姉の話をしようと思う。

私が生まれたとき、姉は中学生だった。母は早期に離婚し、私の父と再婚した。だから姉と私では父親が違う。再婚相手の娘というとても微妙な間柄だったけれど、姉と過ごした時間はとても長かった。母が朝5時から深夜1時まで働くような人だったので、年端もいかない姉に私を預けていたからだ。

 姉は明らかに困惑していた。当たり前だ。中学生で恋愛なり何なりを楽しめる年齢だった。それを私の育児で台無しにされて、さぞ迷惑だったろう。

 

さらに母は姉の親権を放棄していた。というか厳密には父親も母親も親権を放棄したがったので、祖父母が育てていた。つまり姉は「母にも父にも見捨てられた」という自意識を持ちながら、父親が違う妹の私を育てていたのだ。人生ってこんなにひどい試練を人に与えうるんだろうか?

 

それでも姉はよくできた人で、不器用ながらも私の面倒を見てくれた。だから私は姉が好きだ。幼い私は彼女のバックグラウンドを何も考えず「いつも面倒をみてくれる人」くらいに思っていた。

そう、姉は「お姉ちゃん」ではなかった。離婚のせいで母方の実家から絶縁されていたからだ。再婚と私の誕生も相まって姉は親族から「存在しない子」となった。親族の集まりに招かれることもなかった。だから私は姉を「お姉ちゃん」として呼ぶことは禁止された。「そんなことして近所の噂になったらどうするの。笑われるんだよ、あそこの家は再婚だって」だから私は姉のことを〇〇ちゃん、と名前で呼んでいた。私も彼女が実の姉だと知ったのは10代になってからだ。

 

いろいろ噂になるし、田舎にいてくれない方が助かる。そんな思惑で姉は海外へ送られた。学費は当時バブル景気で儲かっていた母から出た。イギリスの高校と大学を卒業した姉はそのまま就職したが、不運にも就職先が続けて倒産したらしい。この当時の姉は荒れていた。伝聞でしか知らないけれど、母に包丁を向けて「あんたのせいだ」と対峙したこともあるらしい。そんな姉を新興宗教へ入れたのは母だった。 

「ここなら姉をどうにかしてくれるだろう」

「私が霊視した限りでは本物の神様がいる宗教の一つだから」と。

 

私の母は自分のことを神様だと信じている電波な人だった。だから新興宗教へ突っ込んだ行為ですら、姉から見れば霊とばかり向き合っている母が姉を気にかけた数少ない時期だった。「お母さんが私のことを見てくれた」と思った姉は新興宗教へ入った。(ちなみに姉へ宗教を勧めたくせに母は入信しなかった。そして会費も払わなかった。)

 

元来のマジメな性格が幸いして、姉はあっという間に出世した。そして数年後、私が同じように母から遠ざけられてイギリスの高校へ入ったときには出家していた。私は未成年の親戚だからと勝手に名前を書かれ入信させられた。

週に1度の祭事やボランティアに寒い時期の集中訓練。私は4年間、彼女の新興宗教へ晒された。信仰したことは1度もない。残念ながら私は体質的に偉い人の話を聞くと眠くなるので、教祖様の話を最後まで聞けずいつも爆睡してしまったのだ。

 

私も母とトラブルを抱えて人生でつらいときは何度もあったし、信じられた方が幸せだったかもしれない。けれどいくら母親が自分を神様と信じてるからって、反発して新興宗教に入るのは何か違うんじゃないか。それって親がクラシックの指揮者なのに嫌気が差してロックシンガーになるくらい傍目にゃ一緒に見えないか……というモヤモヤから解放されなかった。

 

姉の「もっと修行しろ、勧誘しろ」という推しは嫌いでしょうがなかったが、姉のことは好きなので黙っていた。けれど同じ信者から「あなたのお姉さんはすごいのよ。飛行機の隣の席に座った人も入信させたんだから」なんて言われると吐き気がした。やめてくれよ、そんな社会悪に近づくのは。新興宗教に入ってるからって、もっとゆるい信者にもなれるだろ。

 

本当は、彼女の両親が親権を放棄した時点で抱きしめてあげる誰かが必要だったんだろう。本当は、母親が電波じゃなかったら良かったんだろう。姉の就職先が倒産したからって「大丈夫よ、しばらくここで暮らしなさい」って言ってあげられる誰かがいたら。でも姉には何もなかった。当時は宗教以外の何も、彼女を助けられなかった。

 

そして現在、姉は宗教を通じて出会った夫と幸せに暮らしている。子供にも恵まれた。

もしかすると子供は2世として苦しむかもしれない。勧誘されて友人は離れていった。けれど姉に宗教がなければ、この年まで生きていてくれただろうか。宗教なしに姉が幸せに生きる道ってあったんだろうか? だから私は姉にかける言葉がない。ただ、勧誘されないよう距離を置いてたまにLINEするだけだ。

 

出家してもなお大御所芸能人にバッシングされる清水富美加さんへも、同じ辛さをひりひりと感じている。彼女が生きるすべって出家する以外他にあったんだろうか。社会に孤独な人のセーフティネットが宗教以外何もないなら、それって用意しなかった社会の、ひいては私の責任でもあるんじゃないか。

同じような人を「助けられない」と諦めるのは言い訳だ。きっとこれから同じように人生のどん詰まりにあった人を助けていける。そんな一縷の希望だけが、私をいま動かしている。

 

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こちらは自分を神だと信じていた母の話。もういい年だから母を恨みはしないけれど、姉の人生を変えたことくらい謝罪してもいいんじゃないかと思う。

toianna.hatenablog.com

 

この記事を読んで、ずっと書かなかった姉の話を書こうと思った。新興宗教2世で同じ信仰を持てないのは苦しいと思う。と同時に、その親世代って宗教へ入る以外に生きる道はあったんだろうか。それを用意できなかった時点で、責任は社会全体にあるんじゃないかと。

menhera.jp

 

数年前に書いた母と姉の話。

toianna.blog.fc2.com