手首に線を刻むより、フランス料理を食べていく
10年以上前。首を吊った。生還した。数日寝込んだ。頭痛がひどかった。視界はぼやけていた。吐しゃ物で臭う寝床。自分の身体にかろうじて残っていた「死ぬ気」まで使いつくし、寝床で呻くしかなかった。
2日後。私は「山猫軒」という店名からして厄介そうな店にいた。シェフは当時、強烈な反原発主義者で、脱原発論を聞かないと皿が出てこなかった。
自家製のからすみ。
のれそれ、ポン酢。
木の実のパン。
数時間後、私は食べたものを全部吐いた。自殺未遂から2日。胃が食事を受け付けなかった。その代わり、記憶は舌へ刻まれた。ぼろぼろ泣いた。美味しくて。
その後、東京で Les Creations de NARISAWA(現:NARISAWA)へ行った。人生は2度狂った。ドーパミンだかアドレナリンだかがドバドバ溢れた。銀河系にトリップ。走馬灯をぐるりと一周。究極のハイ。うまい。ありがとう。赤い酒から木苺の香り。香りの中で野ウサギが駆け回る。お母さん。高野山の葉。おめでとう。
私は愛されてないし、人生にはいいことなんか一つもないけど、喰って生けます。
こうして、私はフレンチを食うことにした。
脳がおかしくなる飯を食う。そのためには金が要る。バイト。1日10時間でも、猛烈に働いた。エポスカードは限度額10万円だったから、代わりに札束握りしめて入った。3万円のバクチ。負けた日は殺意にまみれた。高くてまずい、これ以上の罪があるか。
そして未来も喰って生くために。猛烈に勉強。過去分詞もわからない阿呆な頭を、外資系へぶちこんだ。
それからも信仰心は試される。フレンチは夜になればワイン込み30,000円~なんて店ばかり。だがしかし、払う相手は命を救った宗教体験。あれをもう一度体験できるのですね?有り金ぜんぶ喜捨した。
さて私は、その日から自殺未遂を1度しかしなかった。歴史的快挙。これまでは何度試したっけ?手首もツルツル。味覚を崩さないため健康に気をつかい始めた。健康!健康ですって?死にたがりが?
奇跡は起きた。何度でも。
月に1~2回しかフレンチにありつけなくても、年に1度は時間が止まるほど美味い皿に出会う。脳が溶ける。幸福なフラッシュバック。生産者。母なる大地。私をここまで運んできた両足。ありがとう。全部ありがとう。
ウイスキー、「ポート・エレン」を狂ったように探した。ない、ない。閉鎖した蒸留所だった。似たボトルはあっても、同じ味がない。バージョン違いが多すぎる。バーに入っては「ポート・エレンはありますか」と尋ねるしかなかった。無いことにほっとする日もあった。これでまだ、旅が続けられる。私はまだ死なない。
そして食べて、食べて、食べて、死ぬ欲望は消えた。初めての平穏、圧倒的成仏。スピリチュアル・フレンチ、そう呼ばれてもいい。私はそういう宗教に入ってしまったのだ。手首を切らないために、首をくくらないために飯を食う。それは食の理解からは程遠い、自傷行為としてのご飯。
今も人生で辛いことがあるたびに、震える指でフランス料理を予約する。あれから元気でやっているけれど、今年は結構つらかった。でもねえ、あと3軒予約があるんです。こいつはまた、しばらく死ねそうにありませんね。