「死にたい」と言うひとが考えていることと、あなたにできることと、できないこと。
物心ついてから23歳まで毎日死にたいと思っていました。それが止まったのは、たくさんの人の涙と治療があったから。それがなかったら、30歳になる前に死んでいました。
つらいことがあったときも、人ってある程度までは「とはいえこの苦痛も長くは続かないし」と前を向いていられるのです。
でも苦痛が重なると、どこかでプツンと音がして、視界がどんよりとします。
ご飯を食べるのも、起きるのも、歯磨きさえも苦痛で、ただスマホでSNSを開くだけで、家族の声が聞こえるだけで、あるいは空気のキーンという音さえも自分を責めているように感じ、涙が止まらなくなるのです。
そして、どこかから「死んでもいいよ」という、かすかなさえずりが聞こえてきます。「死んでもいいよ」という声が聞こえると、とても楽になれるのです。
ああ、この真っ暗闇のトンネルの先にも光があったのか。あそこへ歩いていけばゴールできるのかと。正気じゃない。そうです。でも、周りは苔むした、ランプもないトンネル。他にどこへ歩いていけば?
死んではだめ。知ってる。死んでも何も変わらない。知ってる。もしかして、あなたには私が死にたくて死にたくてたまらない、自殺ジャンキーに見えているのでしょうか?楽しくって首つり縄を買うとでも? 違います。そこにしか出口がなくて、ダメだと言いながら、歩かざるを得ないだけなんです。
誰か助けて。でも助けてほしくない。私の苦しみを、誰かに背負ってほしいなんて思えない。だってこれは、私の苦しみだから。苦痛を声に出したところで、楽になる保証もないのだから。毎日うつろな顔で変わり映えのしない愚痴を聞かされるのがどれほどウンザリすることか、私にだってわかるから。
家族へ。友人へ。あなたたちに"死にたい私"を助けることなんてできません。だって本人も死にたくなんか本当はなかったはずなのに、足を引きずって歩いているのだから。「ダメ」ではもう止まりません。
「死ぬなとは言わない。ただ、死んだら悲しい」
「死にたいくらい、つらいんだね」
このフタコトだけをください。そして病院へ引きずってでも、連れて行ってください。あなたができるのは、そこまでです。
そこから先、あなたの愛で人の命が救えるなんて思わないでください。思い上がりも甚だしい。愛の期待値が高すぎる。これは疾患で、素人が粉砕骨折を治せないように、死にたい気持ちも取り除けないんです。
できれば暗闇の原因から距離を置かせてください。アキレス腱を切ったアスリートが、しばらくスポーツを休止するように。仕事でも家庭でも、原因に思われそうな場所から物理的な距離を置かせてください。本人にそんな力は残っていないので、連れ去ってください。楽しい旅行のプランなんて立てられません。お風呂とかメイクとかどうでもいい。どうかパジャマのままで引きはがして。
それでも、運悪く死ぬこともあります。疾病だからです。あなたの愛や思いやりが足りなかったのではありません。抱きしめても、一緒に泣いても、毎日キスをしてもだめなときもあります。でもそれは、あなたのせいではない。
あなたのせいではない。
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